HOMEEssay両親へのカムアウト

両親へのカムアウト

カウンセリングに通い出して数ヶ月後、僕は母に自分の事を話した。
夜遅くに母の部屋に行き「えー、ビックリさせるお話があります」などと軽いノリだったのを覚えている。
母はきっと職場の愚痴か、僕の財布がピンチだとかいう話を想像していただろう。
「ここんとこ朝早くに家を出ることが何回かあったやろ?あれ、病院に行っててん。
いや、どっか具合が悪いとかじゃなくって、カウンセリングに行ってたんや」
僕が話す言葉を聞く母の顔に怪訝な表情がうかがえる。
「性同一性障害いうて、体と心が一致せぇへんことがあるねん。自分はそれやと思う。
医者に違うて言われるかもしれんけど、いっぺんカウンセリング受けたかってん」
母はやはり混乱しているようだった。
喩え話を用いても、おそらく当事者を目の当たりにしたことのない母からすれば、
僕の言葉は母の理解をこえるものであることは分かっていた。
「ずっと、ずっとしんどかってん。赤いランドセルも、学校の制服のスカートも」
少し考え込んで母は言った。
「あんたはこれから先、どないするんや」
僕はその時に考えていた改名やホルモン注射のことを話した。
手術のことにはあえて触れなかったが、母はそれなりに察していたかもしれない。
「親戚や近所の目が気になるなら、この家を出るつもりでいてる。オカンらに迷惑かからんようにはするつもりや」
母は暫く無言になった後、静かにこう言った。
「別に家を出ることはない。アンタの生きたいようにしたらえぇと思う。でも、いきなり言われてもやっぱり分からんこともあるわ。周りに相談できるような人もいてへんしな。
お父さんにはまだこの事は黙っとき。私がもっとアンタの事を分かるようになったら、三人で改めて
話しよう」
正直、予想外の答えだった。

父に話したのは半年程経過してからだった。
ようやくおりた性同一性障害の診断書を前にして、三人で話をした。
父は母以上によく分かっていない様子だった。
ひたすら無言が続く。
「ニューハーフの逆版か?」
それだけが父の問いかけだった。

ホルモン注射を始めて伸び始めた髭を父のシェーバーで剃っていた時も、父は何も言わなかった。
別に無視を決め込むわけでもなく、今まで同様の接し方だった。
改名が終わっても相変わらず僕を昔の名前で呼んだ。
胸の手術を受ける事にした時、僕は母と父にそれを話した。
父は「お金が足りんようになったらお母さんに言いや。ワシは無いからな。ちゃんと体の管理は
するんやで」と、ボソボソといつもの調子で言っていた。
その父は僕が手術を受けた半年後にこの世を去った。
僕の事をどこまで理解していたかどうか、今となってはわからない。
母は「お父さんはあんまり分かってなかったんちゃうか?」と苦笑まじりに言う。

父の葬儀後、父が働いていた会社の社長(母の甥)がお参りにこられた時に僕の話になったそうだ。
「○○さん(僕の名前)はこれから男性として生きていくんですか?」
社長の問いに母はにこやかにこう答えたそうだ。
「そのつもりみたいですよ。私もまだもうひとつよく分かってないんですけどねぇ。
自分の思うように生きていったらいいと私は思っています。あの子も親戚の皆さんの前に出るのは
勇気が要ったと思いますよ。私のことも気遣っていたようです。周りから何か言われるんちゃうか、って
よく言ってましたから。でも、世間がどう言おうが本人が幸せならいいんじゃないですか?
私はかまへんで、ってその度に言ってたんですよ」

僕は恵まれた環境だと思う。
小言を言いながらも元気づけてくれる母、無愛想ながらも優しかった父。
この二人の子供でよかったと本当に思う。

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