自分の性別に対して嫌悪感とはいかないまでも、
違和感を持ち出したのは月並みな言葉だが「物心がついてから」だ。
幼稚園に上がる頃にはスカートは一切履かなくなった。
気恥ずかしいというか、「なんでこんなん着やなアカンねん」みたいなムカつきがあった。
なので、母親はいつも半ズボンを買ってきてくれた。
その頃のアルバムを見ると、本当にスカートを履いていない写真ばっかりだ。
被写体としては、つまらない子供だっただろう。
ところが幼稚園は制服、「女子」は当然スカート着用である。
それだけで幼稚園には行きたくなかった。
家で大好きな「仮面ライダー」見てたいよー!とダダをこねて、毎朝両親を困らせた。
この幼稚園には僕の初恋の人がいたが、その子の前でスカート履くのなんて絶対にイヤだった。
当時、両親は共働きだったため、母の仕事が終わる夕方まで僕は祖母の家に預けられていた。
近所に同じような年代の子供がいなかったせいもあって、僕はずっと祖母にかまってもらっていた。
でも、かまってもらうっていっても祖母の話し相手にもなれないから、一緒にTVを見る程度。
小学校にあがると、またまた制服。
しかも赤いランドセル。
登園拒否を目の当たりにしていた両親は、かなり心配だったようだ。
小さいながらも「あまり親を困らせちゃいかんなぁ」などと考えてた僕は、
とりあえず元気な振りで毎朝家を出るようにした。
小学校は当然幼稚園に比べると、各段にすることが多い。
いい友達ができたこともあって、幼稚園ほどはイヤにならずに過ごせた。
それでも制服はずっとイヤなままだった。
体育の時間が楽しみで仕方なかった。
体操服は男女共通だったから。
幸運なことに、ブルマじゃなく短パンだったし。
しかし、小学校5年生の時に僕は愕然となった。
初潮がきたのである。
自分の体が「女」であることをつきつけられ、頭の中でなにかがグルグル廻りはじめた。
体が自分の意思に逆らって女性化していく絶望感。
これから毎月こんな思いをさせられるのか、と先のことを考えての不安感。なにもかもがイヤになった。
泣きたくなった。
結局こうして生き長らえてるわけだが、今でも自分がイヤになるときがある。
どうして僕はこんな体なんだろう、なぜ性別が「女」なんだろう、と。
学生時代は、誰かを好きになった時に自己嫌悪におちいった。
「好きです。」という想いを口に出せずにいる事に、イライラしていた。
自分では自然にしていると、「すこしは女らしくすればいいのに」と言われる。
言った本人には悪気はないのは分かっている。
しかし、僕はいつもそういった「悪気のない一言」に対して、怒りをぶつけたい衝動を押さえつけていた。
世間の目、体裁、そういったものが見えない鎖になって僕をしばりつけた。
年齢を重ねた僕はどんな生き方をしているんだろう。
そんなことを考える夜が多かったのも、この頃だった。