僕は子供の頃から周りの子に比べて声が低かったので、髪型や格好とあいまって
初対面の人に女性と思われることは多くなかった。
しかし学生の頃等はこの低い声で面倒くさいことが幾つかあった。
制服でいる時に電車内や街中で友達と話す時。
周りの人がチラチラと視線をむけてくる。
この低い声と制服のギャップが奇妙に思われていたんだろう。
クラスの連絡網等で次の人に電話をする時。
ご両親が出て「○○さん、ご在宅ですか?」と尋ねると、訝しげな声で「どういったご関係でしょうか?」と問い返される。
毎年クラスが変わるたび、電話連絡がまわってくるのが鬱陶しかった。
加入申し込みを郵送でおこなった携帯電話を解約しにショップへ出向いた時。
係員に「ご本人様ですか?」と何度も確認された。
僕は友達に恵まれているんだと思う。
自分の進む道がまだ漠然としていた昔を思い返しても、その思いは変わらない。
学生時代の友達は「それもまた個性」ということで落ち着いていたようだ。
「なんで髪の毛のばさないの?」「スカート履かないの?」と、興味本位で詮索してくるようなことは
なかった。
もちろん、その頃の僕はGIDやFTMという言葉を知らなかったので、
「どうして女性らしく振舞えないのか」と聞かれても、「自分は女性じゃない」ということを
相手にうまく伝えられないから、的を得た答えは言えなかっただろうけども。
陰湿な「いじめ」にあうこともなかったし、今でも年賀状やメールをやり取りする
長い付き合いの友達も何人かいる。
もうほとんどは結婚して子供もいたりして頻繁に会うことはなくなったが、
この友達と同じ時代に生きてこれて良かったなぁ、と思う。
ネットでFTMという言葉を知り、しばらくして「パス」という言葉の意味を知った。
体の性とは逆の性別で認識されたくても、パスができてなければ当然まわりからは望みの性として
扱ってもらえない。
僕は「パス」を特に意識することもなく生きてきた。
「俺は男だ!」みたいに肩肘張って生きてきたわけでもない。
周りから男性に見えるように、わざと乱暴な言葉遣いをしたり、髪の毛を金髪にしたり、
ダボダボの服を着たこともない。
いきがっても逆に格好悪いだけだし。
もちろん戸籍上の性別を話さなくてすむなら、それにこしたことはない。
自分としてはその方がラクだ。
でも、侮蔑や嘲笑をふくんだ人の前でどうしても戸籍上の性別を話さなくてはならなくなったら。
それはそれで仕方が無いと思っている。
僕は正直に話すだろう。
それでどんな扱いを受けることになろうが知ったこっちゃない。
別にそいつと一時も離れず一生を過ごさなくちゃいけないわけでもないし。
当事者の辛さやらなんやらが、非当事者にわかるはずがない。
他人のことを笑う奴は笑い返してやるぐらいの気持ち、持っててもいいんじゃないかな。